「カチーカチー」 紙芝居のおじさんの拍子木の音で集ってきた横丁は
意外とせまい道なのには驚きました。
あどけない幼友達の顔が次々と浮かんできました。
地下鉄も松屋もあのいまわしい戦争の思い出を一新して浅草の底力をみせ
戦争を知らない平成の人々が元気に行き来していました。

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横丁で紙芝居


娘の結婚式の準備のあの時からはや二年の時が流れていました。
戦火の道をたどることに決めた私は、地下鉄浅草駅前の電車通りを渡り
昭和二十年三月九日の空襲の日、父に呼ばれたあの防空壕のあたりからまず出発しました。
さま変りした元我家のあった地点にたってまず雷門からスタートしました。
現代は人力車まで出ていました。
向い側では三定、紀文堂、雷おこし、こちら側ではお隣りであった龍昇亭・西むら、
伊勢角、大元、西山、ところどころぬけながら
幼な友達の店が立派に再建を成し遂げていました。
紙の辻万始め何軒かの老舗が消えていました。

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仲見世の仁王門雷門のグリコと田原町の仁丹のネオンと
地下鉄の塔は浅草のシンボルでした