五十年前の少女の眼を通した戦前の記憶を取り戻したいと浅草へ向う
車中でメモをとりはじめました。
今、乗っている銀座線はモダンなステンレスの車体ですが
当時は木造で黄色く可愛らしい電車でした。

当時の東京には地下鉄といえば渋谷から浅草までのたった一本しかありませんでした。
神田、日本橋、銀座、青山、渋谷 を結ぶこの地下鉄は
知識人、実業家、老舗、芸能人、職人あらゆる層の人々の憩いを運ぶ電車でした。

現場に行けば近代化したあまりの変化に惑わされ、流されやすい私は
今の感情が恐らく崩れてしまうに違いない。
強烈な現代におぼろげな記憶が失しなわれてしまうことを私は恐れました。
ゴウゴウという電車の音の間に私の想いは静かな興奮と共に
少女時代の浅草の街を歩きはじめました。

57
幼な友達と雛祭り


改札口を通り右に折れ長い地下道から地上に上ると
電車通り(当時、路面電車が走っていた通り)の向こうに
昔、生れた家「鮪十」の暖簾がみえました。

06
線香花火を楽しんだ夏