つれづれなるままに歴史にむかひて

東京大空襲から逃れた一人の女の子の実話です。 ここでは私が知った歴史を綴っています。

炎の橋

「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

鶴と松のマークがシンボルの松屋が月並みな美しいデパートに
衣装がえしてしまったのはちょっと残念なきがしました。
地下鉄のとんがり帽子の建物も平凡な建築になりました。

せっかく戦災で残ったのですから、地下鉄駅の原形を
ここだけは残したかったとおもいます。
建築的にも面白いと思いますし
浅草独特の文化の象徴であったと私は思っていました。
広島の原爆ドームのように戦災の足跡を残して
未来の人に戦争のむなしさを問い考える貴重なたったひとつの
インパクトのある記念であったものを人類の為に惜しいことをしました。


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子供の頃お世話になった薮そば


このことは忘れたい事ですが人間として忘れてはならない事だからです。
何故なら余りにもひどく広範囲に焼きつくされていて
戦災当時を知りたいと思う人は勿論、本や写真や文章の少しの手掛かりすら
灰にされてしまってほとんど残されていないのが実状だからです。

「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

それほどに大規模な激しい爆撃だったのです。
今の浅草を築いた人の殆どは疎開からあるいは軍隊から帰えられた浅草の人で
「浅草の見渡すかぎりの焼野原から戦後の出発」が始まっています。
浅草の惨劇の中で生き残ったわずかの人の話から推測するしかなかったと思います。
僅かの手掛かりをもとにのちにアメリカの資料を参考にしてわかってきたようです。

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「父に呼ばれたあの防空壕のあたりからまず出発しました」

「カチーカチー」 紙芝居のおじさんの拍子木の音で集ってきた横丁は
意外とせまい道なのには驚きました。
あどけない幼友達の顔が次々と浮かんできました。
地下鉄も松屋もあのいまわしい戦争の思い出を一新して浅草の底力をみせ
戦争を知らない平成の人々が元気に行き来していました。

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横丁で紙芝居


娘の結婚式の準備のあの時からはや二年の時が流れていました。
戦火の道をたどることに決めた私は、地下鉄浅草駅前の電車通りを渡り
昭和二十年三月九日の空襲の日、父に呼ばれたあの防空壕のあたりからまず出発しました。
さま変りした元我家のあった地点にたってまず雷門からスタートしました。
現代は人力車まで出ていました。
向い側では三定、紀文堂、雷おこし、こちら側ではお隣りであった龍昇亭・西むら、
伊勢角、大元、西山、ところどころぬけながら
幼な友達の店が立派に再建を成し遂げていました。
紙の辻万始め何軒かの老舗が消えていました。

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仲見世の仁王門雷門のグリコと田原町の仁丹のネオンと
地下鉄の塔は浅草のシンボルでした

「戦争はいやだ・・・・・」

今はその地下道も店鋪で埋まり私の生家とお隣にあった明治製菓の敷地が合わさって
台東区文化会館が建っていました。
観音様と仲見世と仁王門だけは、私の子供の頃の形を留めてい ました。
左隣りの和菓子の老舗は継承はしていましたがきれいに改装され
遠い私の記憶とは懸け離れた町に来たような寂しさがあらためて胸にこみあげてきました。
変わり果てた街を前にして呆然と立ちすくんでしまいました。
戦争の残酷さを今更ながら思い知らされました。
幼い頃の想い出の町も人も環境も奪い取ってしまった戦争。
現に私が今通ってきた浅草駅の地下道は昭和二十年三月十日の朝は
シャッターをしめられ蒸しやきになって亡くなられたまちの人で埋めつくされていました。


「戦争はいやだ・・・・・」


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雷門の停留場の前、仁王門前の生家は小料理屋でした



様々なおもいがこみあげてきました。
私は深く息を吸って心を静めました。
今日は冷静にあの日のことだけにしぼって歩いてみたい。
こうして生きていてその道をもう一度歩き直す事ができるのだもの。
その道を歩いてなにができるか考えたいと思っていました。
私は気をとりなおして目的を果たさなければならないと思いました。

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炎上する雷門の街店街

第ニ章 戦火の跡 (一)戦火の跡をたずねて

五十年前の少女の眼を通した戦前の記憶を取り戻したいと浅草へ向う
車中でメモをとりはじめました。
今、乗っている銀座線はモダンなステンレスの車体ですが
当時は木造で黄色く可愛らしい電車でした。

当時の東京には地下鉄といえば渋谷から浅草までのたった一本しかありませんでした。
神田、日本橋、銀座、青山、渋谷 を結ぶこの地下鉄は
知識人、実業家、老舗、芸能人、職人あらゆる層の人々の憩いを運ぶ電車でした。

現場に行けば近代化したあまりの変化に惑わされ、流されやすい私は
今の感情が恐らく崩れてしまうに違いない。
強烈な現代におぼろげな記憶が失しなわれてしまうことを私は恐れました。
ゴウゴウという電車の音の間に私の想いは静かな興奮と共に
少女時代の浅草の街を歩きはじめました。

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幼な友達と雛祭り


改札口を通り右に折れ長い地下道から地上に上ると
電車通り(当時、路面電車が走っていた通り)の向こうに
昔、生れた家「鮪十」の暖簾がみえました。

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線香花火を楽しんだ夏

「動脈硬化が原因です。早急に治療しないと失明してしまいます。」

「動脈硬化が原因です。早急に治療しないと失明してしまいます。
 その症状が脳に現れると脳硬塞ということです。
 治療しても明るさが残る程度で視力をとりもどすことはほとんど出来ません。」

「冗談じゃない。なぜ?家は店はどうなるの?
 私自身だって人間としてやるべき事がまだいくつも残されているのに」

老いるという当たり前の事を忘れていた自分が悔やまれてなりませんでした。
早急に医師の検査と治療を真剣に受け懸命な自分自身の立ち直りをはかりました。
病気に負けてはいられない周囲の状況の暗澹たる気持ちから脱出し
働きながらの健康管理に最善を尽くしました。

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私の移動する各所におおきな虫眼鏡を用意して仕事は何とか支障なく捌き
家族も協力的に配慮してくれたおかげでやっと不安から落ち着きを取り戻しました。
主人ももっと心配だったのでしょう気管支炎を起こしてしまいました。
医師に入院を命じられましたが前向きの闘病で元気になりましたので
主人と話し合って医師と看護婦さんの見守る聞にかねて
心掛けていた戦火の道を訪れる事になりました。

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ギャラリー
  • 「戦火に燃えた日も同じ三月のはじめでした。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「あの日から五十年の歳月がたちました。」
  • 「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

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