つれづれなるままに歴史にむかひて

東京大空襲から逃れた一人の女の子の実話です。 ここでは私が知った歴史を綴っています。

仲見世

「父に呼ばれたあの防空壕のあたりからまず出発しました」

「カチーカチー」 紙芝居のおじさんの拍子木の音で集ってきた横丁は
意外とせまい道なのには驚きました。
あどけない幼友達の顔が次々と浮かんできました。
地下鉄も松屋もあのいまわしい戦争の思い出を一新して浅草の底力をみせ
戦争を知らない平成の人々が元気に行き来していました。

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横丁で紙芝居


娘の結婚式の準備のあの時からはや二年の時が流れていました。
戦火の道をたどることに決めた私は、地下鉄浅草駅前の電車通りを渡り
昭和二十年三月九日の空襲の日、父に呼ばれたあの防空壕のあたりからまず出発しました。
さま変りした元我家のあった地点にたってまず雷門からスタートしました。
現代は人力車まで出ていました。
向い側では三定、紀文堂、雷おこし、こちら側ではお隣りであった龍昇亭・西むら、
伊勢角、大元、西山、ところどころぬけながら
幼な友達の店が立派に再建を成し遂げていました。
紙の辻万始め何軒かの老舗が消えていました。

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仲見世の仁王門雷門のグリコと田原町の仁丹のネオンと
地下鉄の塔は浅草のシンボルでした

「戦争はいやだ・・・・・」

今はその地下道も店鋪で埋まり私の生家とお隣にあった明治製菓の敷地が合わさって
台東区文化会館が建っていました。
観音様と仲見世と仁王門だけは、私の子供の頃の形を留めてい ました。
左隣りの和菓子の老舗は継承はしていましたがきれいに改装され
遠い私の記憶とは懸け離れた町に来たような寂しさがあらためて胸にこみあげてきました。
変わり果てた街を前にして呆然と立ちすくんでしまいました。
戦争の残酷さを今更ながら思い知らされました。
幼い頃の想い出の町も人も環境も奪い取ってしまった戦争。
現に私が今通ってきた浅草駅の地下道は昭和二十年三月十日の朝は
シャッターをしめられ蒸しやきになって亡くなられたまちの人で埋めつくされていました。


「戦争はいやだ・・・・・」


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雷門の停留場の前、仁王門前の生家は小料理屋でした



様々なおもいがこみあげてきました。
私は深く息を吸って心を静めました。
今日は冷静にあの日のことだけにしぼって歩いてみたい。
こうして生きていてその道をもう一度歩き直す事ができるのだもの。
その道を歩いてなにができるか考えたいと思っていました。
私は気をとりなおして目的を果たさなければならないと思いました。

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炎上する雷門の街店街
ギャラリー
  • 「戦火に燃えた日も同じ三月のはじめでした。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「あの日から五十年の歳月がたちました。」
  • 「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

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