つれづれなるままに歴史にむかひて

東京大空襲から逃れた一人の女の子の実話です。 ここでは私が知った歴史を綴っています。

「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」

「もうすぐだ!」
吾妻橋を渡り終わってあの私の家族「生と死の分かれ道」の角にたちました。
みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。
今はサッポロビールではなくアサヒビールに変っていました。
驚いた事にあの地点の真上にかの有名なアサヒビールの広告塔が建っていたのです。

「もしかしたら?」

と少しは思いましたがまさか我が家の生と死の道標のまったく頭上に
造られているとは思いもよりませんでした。
ビールの泡?雲?お芋?その奇妙なビール会社の広告塔は
意表をついて話題ではありましたが高速からみると
町の景観を損なう感じがしていました。
イタリヤの新進作家が聖火台の炎をイメージして製作したということが
後に分りましたが出来れば高速道路から眺める人々を配慮して
炎の方向を天に向けてほしいものだと思っていましたが
現金なもので私の記念塔となると愛着が湧いて来ました。


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アサヒビール(昔サッポロビール)


高速道路からではなく下から見つめると台の黒と黄色のコントラストの調和が
なかなか良くみえてきました。
そんなことを思いながら重浦さんの家のあったあたりへの道に向いました。
老舗の海老屋も包丁の正本も店鋪は昔の場所には出していないようでした。
懐かしい重浦さんの長家の辺りには、平凡な家々が立ち並んでいました。
昔の長屋はアパートに変わりました。
たしか子供の頃の記憶では小さな橋を渡った記憶がありました。
そんな所に隅田川の他に川があるのだろうか?
50年前の記憶です。
自信はありませんでしたが道をたどってゆくと橋があったのです。


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記憶は間違っていなかった枕橋

「あの日から五十年の歳月がたちました。」

あの日から五十年の歳月がたちました。
あの炎の嵐の渦巻く大空襲の日とはうって変って
今日の吾妻橋はおだやかな春でした。
吾妻橋の上から兄達と凧あげをして遊びまわった駒形橋もみえました。
戦争の事を振り返る暇も無く前を向いて懸命に生けて来た日々が
愛おしく想えました。
厩橋、両国橋を経て娘達が結婚式をあげた東京ベイブリッジのある川下へ
この水がつながっていたおかげです。

春のうららの隅田川
のぼり下りの舟人が…

思わず口ずさみたくなるような春風のそよぐ橋を渡たりました。
父とよく手をつないで吾妻橋を渡ったものでした。
ボートの早慶戦や寒中水泳もここで見物したのを覚えていました。
川上の方をみると東武線の為の橋がみえました。
そのむこうが炎の橋となった言問橋なのです。
私は感慨無量になりました。


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吾妻橋より言問橋を望む

「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

鶴と松のマークがシンボルの松屋が月並みな美しいデパートに
衣装がえしてしまったのはちょっと残念なきがしました。
地下鉄のとんがり帽子の建物も平凡な建築になりました。

せっかく戦災で残ったのですから、地下鉄駅の原形を
ここだけは残したかったとおもいます。
建築的にも面白いと思いますし
浅草独特の文化の象徴であったと私は思っていました。
広島の原爆ドームのように戦災の足跡を残して
未来の人に戦争のむなしさを問い考える貴重なたったひとつの
インパクトのある記念であったものを人類の為に惜しいことをしました。


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子供の頃お世話になった薮そば


このことは忘れたい事ですが人間として忘れてはならない事だからです。
何故なら余りにもひどく広範囲に焼きつくされていて
戦災当時を知りたいと思う人は勿論、本や写真や文章の少しの手掛かりすら
灰にされてしまってほとんど残されていないのが実状だからです。

「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

それほどに大規模な激しい爆撃だったのです。
今の浅草を築いた人の殆どは疎開からあるいは軍隊から帰えられた浅草の人で
「浅草の見渡すかぎりの焼野原から戦後の出発」が始まっています。
浅草の惨劇の中で生き残ったわずかの人の話から推測するしかなかったと思います。
僅かの手掛かりをもとにのちにアメリカの資料を参考にしてわかってきたようです。

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ギャラリー
  • 「戦火に燃えた日も同じ三月のはじめでした。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「あの日から五十年の歳月がたちました。」
  • 「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

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