つれづれなるままに歴史にむかひて

東京大空襲から逃れた一人の女の子の実話です。 ここでは私が知った歴史を綴っています。

「動脈硬化が原因です。早急に治療しないと失明してしまいます。」

「動脈硬化が原因です。早急に治療しないと失明してしまいます。
 その症状が脳に現れると脳硬塞ということです。
 治療しても明るさが残る程度で視力をとりもどすことはほとんど出来ません。」

「冗談じゃない。なぜ?家は店はどうなるの?
 私自身だって人間としてやるべき事がまだいくつも残されているのに」

老いるという当たり前の事を忘れていた自分が悔やまれてなりませんでした。
早急に医師の検査と治療を真剣に受け懸命な自分自身の立ち直りをはかりました。
病気に負けてはいられない周囲の状況の暗澹たる気持ちから脱出し
働きながらの健康管理に最善を尽くしました。

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私の移動する各所におおきな虫眼鏡を用意して仕事は何とか支障なく捌き
家族も協力的に配慮してくれたおかげでやっと不安から落ち着きを取り戻しました。
主人ももっと心配だったのでしょう気管支炎を起こしてしまいました。
医師に入院を命じられましたが前向きの闘病で元気になりましたので
主人と話し合って医師と看護婦さんの見守る聞にかねて
心掛けていた戦火の道を訪れる事になりました。

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(二)つくねのおばちゃん

(二)つくねのおばちゃん

私は目黒川にかかる大橋のたもとで「お好みやきとり」の店をやっていました。
いつのまにか四十年近く商を続けてきていました。
今は小さなお客様から「つくねのおばちゃん」というニックネームをいただき
結構気に入っていました。
歳は主人と共に六十半、息子一人娘二人の子育てと店の切り盛りに追われ
夢中のうちに過ぎてしまいました。

波乱万丈ながらきりぬけてしまえばそれなりに有意義な
楽しい時間でもあっ たように思えます。
私が多感な少女時代を過ごした隅田川沿いで次女が式を挙げるのも
何かのめぐり合わせと思えてなりません。
戦災で九死に一生を得たあの道への想いは今も忘れてはいませんでした。

「あの道をもう一度、歩いてみようか?」

と思い立ちました。

そう思ったものの結婚式の準備の打ち合わせを済まして家に帰り
日常生活に戻ってみればそれ所ではない現実で何も出来ずに二年が過ぎてゆきました。
三月の初めのことでした。
急に視力の衰えを感じ軽い気持ちで検眼に行ったところ左眼が
盲膜中心静脈閉塞症であることがわかり驚きそして弱りに弱りました。


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正面が家族のお店(桜の頃)  

「戦火をくぐったお母さん達の隅田川ね」

私達夫婦の生活のしみこんだ場所をみつけて東京にいる実感が
やっと涌いてきてほっとしました。
私が子供のころ親類中の従姉妹たちとともに木の船に乗ってすだてにでかけた
同じ隅田川とはとてもおもいにくいほど両岸は近代的に染め替えられ
ただただ驚くばかりでした。
私は勝関橋のずうっと上流に生まれ育った下町の橋がみえないかと思ったのです。

「生涯忘れられない戦火の中を逃げ惑った十二歳の時の記憶」を
わたしは思い起こしたのです。
高いピルにさえぎられ下町の橋は残念ながらみえませんでしたが
いつかその道をもう一度たどってみようとその時決心しました。

「勝どき橋の向こうに両国や駒形橋、吾妻橋、それから
 言問(こととい)橋も見えるはずなのよ。
 ゆりかもめになって空からずーっと見て行きたいわね。
 もう五十年も前になってしまうけど言問橋で
 数えきれない母子が焼け死んでいったのよ。
 このままでは忘れられてしまうわね!」

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「戦火をくぐったお母さん達の隅田川ね」
「でも大切な事ね」
「お母さん。たまにはお店を離れてこんな時間を持つのもいいでしょう。
 一生一度の時ぐらいですもの。こん時にしかお店からひっぱりだしてあげられないものね」


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昭和20年3月10日 B29の絨毯爆撃
(背景の写真は理由を話して国土地理院で買い求め飛行機と焼夷弾を描いて
言問橋と吾妻橋と観音様を想像してみました。)


母として娘にしてあげたかった事、心残りの思い出が走馬灯のように
私の胸の中をゆきすぎてゆきました。
ふとふりかえると主人は息子になる人の父親と喜びと寂しさのいりまじった
紅茶を味わいながら雑談にふけってくれていました。

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大奈良の裏庭「嬉しい紅玉のりんご」
ギャラリー
  • 「戦火に燃えた日も同じ三月のはじめでした。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「戦火の夜、私達を恐怖から守ってくれた桜の木を探しました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「みんな死ぬことを覚悟したあの日から五十年の時が流れました。」
  • 「あの日から五十年の歳月がたちました。」
  • 「浅草を知る戦災を体験した生存者のいかに少なかったことか!」

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