このまま忘れられて時代が過ぎていくなんて余りにも悲しすぎます。

次世代の若者達に平和や家族の営みの大切さを伝えられるなら
悲しみのなかにもささやかな救いはあるでしょう。
アメリカとかソ連とか中国とか国際的問題は別として人間と世界の問題として
人々のたくさん集うところに歴史として伝承され二度とこのような
不幸をさけるべきだと私はおもい続けてきました。

下流の対岸は桜が今を盛りと咲きはじめていました。
戦火に燃えた日も同じ三月のはじめでした。
桜はまだ堅い蓄の頃だったでしょう。
その橋の上にたって当時父母達と吾妻橋から炎の中を死を覚悟して
逃れた道すじを見おさめました。

左の方には隅田川にそって高速道路がひかれ西岸のピル群にはさまれて
川は私に悲しい歴史を語リながら鏡のように波もなく堂々と流れています。
悪夢のような戦災の跡も今日のように愚かな人間共の行為をよそに
桜の花はひときわ美しく咲いて見えた事と思います。

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