あの日炎上していた向こう岸も桜が咲きそろい
豊かな隅田川の水にうす桃色の姿をそえていました。
私はお花見の準備の人の中を通りぬけ急いで言問橋にむかいました。
前方に見える言問橋はかもめが翼を大きく開げたように水色に輝いていました。
桜の花を両側にかかえ高いピルを背景に隅田川のうえに言問橋は平和そのものです。
橋をくぐって、二そうのボンボン蒸気が後先になってこちらへ走ってきました。

「戦災者の記念塔はどこでしょうか」
炎の橋行き交う何人かの人に尋ねたのですが誰も知らないといわれました。


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言問橋上から戦火を逃れた道を見渡す


頭からある筈と信じていましたからそれらしいものが何もないのが実に意外でした。
現場にゆけば分ると思いこんで来た私がうかつだとは思えません。
あのような大きな犠牲を出した記念碑がこのあたりに誰にも分るようあるのが
当然だと私は思っていました。
私には信じられない想いでした。
桜橋という新しい橋が言問橋の上流に見えるのに記念碑はその日は見つかりませんでした。

店の開店時間を前に私には時間がなかったので当時を思い出しながら
言問橋を独りで歩きはじめました。
橋の巾はかなり広く仕事の自動車がゆうゆうと走ってゆきますが
人は私意外は誰も渡っていませんでした。
あの取り残された母子の倒れていたあたりには偶然に桜の花のタイルがはめこまれていました。

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母子の倒れていたあたりに桜のタイル

言問橋はこんなに大きな橋だったのに戦災の時、向島側からも浅草側からも
逃げて来た人がぶつかりあってその混乱の渦の中に
上から油脂焼夷弾の総攻撃にあい、折からの暴風の炎の火の粉で恐怖におののきながら
亡くなった人達の魂はその事を知る私や何人かの遺族が弔うだけでは
酷どすぎるのではないかと私には思えました。